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2011.05.03

半田のレンタサイクルでぐるっと(後編)

衣浦大橋を渡って知多半島に入る。

先週、話のタネに読み出した岩波文庫「新美南吉童話集」がとても面白い。村と町を結ぶ同じ道が、季節と時代によって表情を変える描写がとても興味深い。いろんな花と雪明かり。いろんな服装の大人と子供、牛、牛車、すぐ曲がる乳母車、乗合馬車、鉄の車輪・タイヤの車輪の人力車、自転車。道でなく野原をあるく親子の狐。

そんな話を刈谷の実家でしたら、弟が青木美智男著「全集日本の歴史 別巻日本文化の原型」を貸してくれた。「ごんぎつねと環境歴史学」という最終章があるのだ。大雑把に要約する。
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現在常滑焼として有名な窯業は平安末期から室町時代より知多半島全体で行われていた。焼き物を焼くための薪炭材を大量に取ったために知多半島の山は松林となり、洪水や山崩れも頻発していた。江戸時代に尾張藩がこの対策として「不入御林」等を設けて人の立入を制限し、森林植生の保護と広葉樹林への遷移をすすめた。灌漑用のため池の周囲の森は「砂防山(さぼやま)」として守られ、狐などの小動物が棲みついた。「ごんぎつね」の原点となった民話も南吉の住んでいた付近に存在する。
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上池を過ぎたあたりで13:15、どこかで昼食をと思いつつ県道464号線で西に入って、ママチャリでも全然平気な山越え。山をざっと見たところ広葉樹林で、外側を竹が覆っているところも多い。確かに用材のための人工林は少ない。阿久比川の向こうに名鉄河和線とAPITAが見えたので昼食。

Nec_0404そんなこんなで矢勝川へ。新美南吉記念館に入るために南側の岸を走る。ここは未舗装路。人力車のようなペースで走れてよかった。周りを水田ではちょうど水を引きはじめていた。

 

 

Nec_0405「童話の森 新美南吉記念館」を見る。 「童話の森」の説明でも、江戸期に御林であったこと、明治期には薪炭材を利用してマツや落葉広葉樹林の林になっていたと書かれている。

展示室には自筆の原稿や各種資料で、新美南吉の生きた時代を知ることができた。個人的には河和に勤めていた頃の名鉄の時刻表が展示されていたのが興味深かった。神宮前から河和まで急行で48分。急行停車駅は太田川の次が半田口であった。

南吉記念館を出て知多半島サイクリングロードに入る。走行が快適になって思わず飛ばす。また内陸に入るにつれ「ここはどこだろう、戻らなくては」という意識が頭をもたげる。6.4kmを24分だったから平均時速16km。牛がいた以外にあまり覚えていない。
半田インターから知多半田駅に戻る途中の宮池から白山あたりの上りがいちばんきつかった。なんとか越えて到着、自転車を返却。

Nec_0407

どうもありがとうございました。また来ます。

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