堀井憲一郎著「若者殺しの時代」(講談社現代新書)
6月上旬に読み始め、途中で体調を崩した。医者に「食中毒だろう」といわれたので、この本のせいではないが。でもかなりインパクトの強い本だ。結論は個人的に「ああ、ぐるっと回って養老孟司に戻ったよ」という感じであったが。
私は決してバブルに踊った人間ではない。'80年代後半に日テレでやってた「月曜イレブン」で、南ナントカいうタレントが「ほれほれ恋愛したけりゃ貢がんかい」と煽っていたのを4畳半下宿で見てマジギレしていた者である。「あの頃東京にいなくて良かった」と、読んだ直後には思っていた。しかし、そんな競争には初めから参加せず、自分の興味の向くことだけずっとやってた、ということは、それだけ早くから自分のアタマの世界に入り込んでいたということだ。各自がアタマを優先させる意識が現在の閉塞状況を生み出したという堀井氏の指摘に従えば、決して自慢はできない。
ディズニーランドのくだりは面白かったし共感できた。著者はあそこを、ウォルト・ディズニーというおじさんの妄想的世界の中にすんなり入れる人しか楽しめないところ、とする。概して男にとって、そんなものより自分の妄想の方が正しく、納得できる意味を探して、あるいはディズニーランドに勝とうとして、無駄な努力をしたあげくに疲れてしまう。とにかく楽しければいい女性にはそんなことはないという。私もディズニーシーに行った際にしたことといえば、あの延々と聴こえるBGMを流すためあちこちに隠されたスピーカーを捜して、デジカメで撮りまくることだった。
先日書店でちょっとだけ(「女はなぜ男の計画をぶち壊しにするのか」のところを)立ち読みした姫野友美著「女はなぜ突然怒り出すのか?」という本が、どうにも気になっています。
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