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2006.03.31

藤原正彦「古風堂々数学者」

新潮文庫「若き数学者のアメリカ」は、高校時代に読んだ中で一番面白かった本だ。
あれから20年経った今、著者の藤原正彦氏は「国家の品格」の著者として注目を浴びている。最初に「国家の品格」の新聞広告を読んだ時、それが「若き数学者のアメリカ」の内容とつながっているようにはどうにも思えなかった。そこで「国家の品格」の少し前(単行本は2000年)に発行された「古風堂々数学者」という文庫本を読めば何かわかるかもとしれないと、買ってみたのである。

結論からいうと、見事に文脈はつながっていた。「古風堂々…」には、「…アメリカ」後の経験で新たな視点を得て、内面の変化を自覚的に記述した部分がある。そこから彼の国家論、教育論に至る流れに無理はない。

「論理的に考えて正しいと思ったことを即座に実行する、というアメリカ方式が輝きの本質と分かっていたから、私もその方式を公私に渡って実行するようにした(18ページ)」筆者であったが、イギリスのケンブリッジで生活した経験から、以下のようにアメリカを相対化する。

(イギリスが)二十世紀初頭までの一世紀で、得たものはいったい何であったか。破壊された自然、ロンドン留学中の漱石をして「真黒なタンが出る」とまで言わせた大気汚染、拡大した貧富の差や乱れた風紀、荒れた人心などであった。夢に見た幸せは決してもたらされなかったのである。
イギリス人は、富、繁栄、成功、勝利、栄光、名声などのもたらすものを、既に見てしまった人々である。だからそれらをもとめて狂奔するアメリカ人を、無知な若造と嘲るのである。
(中略)薄っぺらで貪婪な若者であるより、気品と知恵のある熟年でありたい。すなわち俗悪な勝者より優雅な敗者を選ぶのである。(22~23ページ)

そして日本も、イギリスと同様の伝統国として日本なりの成熟を目指すべき、と力説する。成熟とは「かたち」をもつこと、精神の基礎となる価値観を理屈抜きで身につけること。そのために重要なのは、何よりすべての思考および情緒の基盤となる国語教育の充実である、と。

興味深いのは藤原氏が自分の思考の基盤や「かたち」を、どのような体験から得たかについて書いた部分だ。これを読むと、そのいちばん大きな要素は、学校教育でなく「家庭」であるとわかる。小学校時代に読んだ本に影響されたとも書いてあったが、これも両親が作家である影響が大きいだろう。「卑怯」を憎む心を幼少時の著者に教え込んでいるのも、父親であった。学校はむしろ彼にとって、その精神の実践の場であったといえる。
家庭がもっともそのような機能を持っているとすれば、「論理的に説明できないが大切なもの」は家庭ごとに異なるであろうから、さまざまな「かたち」が日本社会に存在することになるだろう。藤原氏は「みんな仲良く」とか「一人の命は地球より重い」という考えを、口当たりが良いだけで人々が簡単に受け入れる「標語」として批判しているが、実際にはそれら「標語」と「かたち」との線引きは、どちらも非論理的なだけにかなり難しいのではないか。

とはいえ、藤原氏の主張には概ね賛成である。以前にTBSで放送してた「ここが変だよ日本人」で各国のパネリストの意見を聞いてて、その国なりの「かたち」の存在を感じたことがあった。まあこの本で初めて藤原正彦氏を知った人は「同じこと言ってばかり」と思われたかもしれない。でも「若き数学者のアメリカ」は、一文ごとにめまぐるしく心象が変化する、本当に面白い本なのでお薦めしたい。

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