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2006.01.19

ただの復活ではない

近藤貞雄氏の著書「退場がこわくて野球ができるか」を読んだ。
氏が右手中指の負傷を克服し、投手として再起された件については、以下のように書かれている。

翌'48年春のキャンプで、選手の大量引き抜き騒動で戦力が弱体化していた中日ドラゴンズにテスト入団で拾われることになった。
中日ではもちろん、右手がまともに機能しなくなった僕の投手としての能力ではなく、代打・代走要員として雇ってくれたのだが、それでも不自由な右手を駆使してキャッチボールを繰り返しているうちに、ボールが打者の手元で大きく変化することに気がついた。
これが「パームボール」という球種であることを知ったのは、もう現役を終えようとしているころだったが、この変化球を武器に、僕は中日で1948年から7勝、7勝、10勝と、計24勝をマークした。
僕にとっては、巨人時代の1946年にあげた23勝よりも、この24勝のほうがはるかに価値が大きい。(65~66ページ)

65ページ下に注釈があり、中日は1947年オフに球団内部の対立がもとで主力10人が離脱、'48年には前年の2位から最下位(8球団)に転落した、とある。

まあ知ってる話だなと思って、軽く読み進んだ。 ところがどっこい。

拙稿にトラックバックをいただいた「ば○こう○ちの納得いかないコーナー」様からリンクをたどり、「ドラおた」という素晴らしいサイトにて、この時期のデータを拝見した。

1948年の近藤貞雄投手の成績

  • 試合数:チームトップの48試合。
  • 投球回数:服部受弘投手の302回に次ぐ、チーム2位の272回2/3。チームが守った総イニング、1265回2/3の21.5%にあたる。そもそもこの年、中日は8人しか投手が登板していない。140試合を8人で投げ切ったのだ。
  • 防御率:2.60。チーム防御率2.99より良い。やはり服部投手に次いでチーム2位、リーグ全体では12位に位置する。ちなみに2.99というチーム防御率はリーグ8チーム中6位(チーム成績は、NPBサイトによる)。
  • そして、7勝23敗。ちなみに、中日打線のシーズン通算得点数は、僅差ながら8チーム中最下位。

「奇跡的な復活」というけど、あまりに壮絶ではないか、と、私なんかは思ったのだが、他チームにはシーズン35完投した投手もいるようだし、やはりそういう時代だったんでしょうね。

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コメント

初めまして。書き込み及びトラックバックして戴いただけではなく、自ブログの紹介迄して戴いて、深謝に堪えません。有難うございました。

近藤貞雄投手の復活、正に壮絶です。権藤投手や稲尾投手等々、昭和40年代位迄の投手って、「腕も折れんばかりに」という表現がピッタリ来る程、物凄い投げっぷりですよね。チームの為に投げているという感じもします。それ故に、選手寿命が短くなってしまったという哀しい現実も在った訳ですが、だからこそ今でも多くの人の記憶に焼き付いているとも言える訳で。もうこういった無茶な記録を達成する投手は出て来ないでしょうね。

これからも宜しく御願い致します。

giants-55さん、コメントどうもありがとうございました。

いろいろ昔のプロ野球のことを調べると、楽しいものですね。スタルヒンもすごい人生だなぁとか思ったり。
自分の育った時代のことさえ再確認してます。へえ、森下コーチって「ピストルサイン」じゃなかったんだねぇとか。

これからもよろしくお願い致します。

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