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2006.01.29

524日め

ひなちゃんはなんだか、消防車が大好きらしいです。消防車の写真がいろいろ載ってるホームページを見せると、いろいろ設備がつけられている後部や、がっしりした前面の写真を指差し、きゃっきゃと喜んでいます。
そういえば「風のハルカ」のオープニングに登場する赤い列車(ディーゼルカー)を見ても「ぶっぶ~」って興味を示すし、同じく赤い名鉄電車を見せたら興味を示すかもと思って試したら、全く無関心でした。ちょっと残念(まさか、エンジンで動くモノが好きというわけじゃないでしょうが)。
再び消防車のページに戻ると、また、画面に跳びつかんばかりに喜びます。

2006.01.19

ただの復活ではない

近藤貞雄氏の著書「退場がこわくて野球ができるか」を読んだ。
氏が右手中指の負傷を克服し、投手として再起された件については、以下のように書かれている。

翌'48年春のキャンプで、選手の大量引き抜き騒動で戦力が弱体化していた中日ドラゴンズにテスト入団で拾われることになった。
中日ではもちろん、右手がまともに機能しなくなった僕の投手としての能力ではなく、代打・代走要員として雇ってくれたのだが、それでも不自由な右手を駆使してキャッチボールを繰り返しているうちに、ボールが打者の手元で大きく変化することに気がついた。
これが「パームボール」という球種であることを知ったのは、もう現役を終えようとしているころだったが、この変化球を武器に、僕は中日で1948年から7勝、7勝、10勝と、計24勝をマークした。
僕にとっては、巨人時代の1946年にあげた23勝よりも、この24勝のほうがはるかに価値が大きい。(65~66ページ)

65ページ下に注釈があり、中日は1947年オフに球団内部の対立がもとで主力10人が離脱、'48年には前年の2位から最下位(8球団)に転落した、とある。

まあ知ってる話だなと思って、軽く読み進んだ。 ところがどっこい。

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2006.01.15

コンパクトシティと名古屋

拙稿 "雑誌「city & life」を読んだ 2"の続きです。
クルマが多すぎて、最もコンパクトシティに程遠い感じがする中京圏ですが、昨年夏に東区や西区の住宅街・商店街を歩いた時、初めてそれまでとは違う印象を受けました。それをもとに書いてみます。ですから、名古屋の本当の中心部、名駅・栄近辺などに関しては考慮しておりません。

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2006.01.11

雑誌「city & life」を読んだ 2

第一住宅建設協会の「City & Life」誌、秋に買ったNo.77・75に続いて、No.73とNo78(最新号)を購入した。「コンパクトシティ」という概念による都市計画の事例を丹念に採りあげていて、非常に興味深く読んでいる。

以下、ちょっとメモ。

問題とされる事柄:

  • 郊外型商業施設の発展による中心市街地の空洞化
  • モータリゼーションの際限ない発展・市街地の郊外へのスプロール(侵食)により、その恩恵を享受できない人にとっての不便が増大し、環境への負荷が高まる。

コンパクトシティの考え方を取る目的:

  • 中心市街地を活性化し、街として持続可能な形態とする。
  • 街の機能の郊外へのスプロール現象を抑制する。
  • 中心市街地において自動車優先となっている交通事情を改め、徒歩・自転車・公共交通など、多様な移動手段をより活用可能とする。

方法:

  • 中心市街地の区域を限定して街としての複合的な機能を集約し、その内部の交通手段として、徒歩・自転車・トラム(路面電車)などの「スモールモビリティ」を活用する。
    具体的には自動車の運行を規制する「トランジットモール」を設定するなどの方法がある。
  • その他、上記目的を達成するための、各種計画および行動。関係者や地域によってそれぞれの解釈と方法がある。

前にも書いたが、No.75(2005年3月発行)はオランダやフランスの、ある意味理想的な事例が載っている。ハウテンとか、本当に住みたくなっちゃうよ。
対してNo.73(2004年9月発行)とNo.78は、国内でコンパクトシティに基づく計画が進められている事例、あるいは歴史的にコンパクトな街を形成している事例が採りあげられている。中には少なからず苦戦しているケースも。No.73の表紙は、岐阜市内を走る名鉄770系の写真で、ちょうど取材時にこの路面電車の廃止が決定したとのこと。

ちょっと、また後で個人的な感想を書いてみます。名古屋関連。

<参考>オランダ・ハウテン探訪記(「ニックレーダー」ページより)
http://www.nic-nagoya.or.jp/nicradar/nicradar0202.htm
2001年に福井市で行われた「トランジットモール社会実験」のページhttp://www.city.fukui.fukui.jp/rekisi/tyusin/trans/frametop.html

2006.01.03

近藤貞雄さん

近藤貞雄・中日元監督のご冥福をお祈りいたします。

個人的に高校(旧制中学)の大先輩で、しかも自分が高校に在籍してる間に中日の監督を勤められ、2年目に優勝したということで、とても思い入れのある監督でした。コーチの時から「燃えよドラゴンズ」の歌詞に載ってて知ってたし。残念ながら選手としてのキャリアは聞いた話でしか知らないです(※)。

中日監督を辞任された後、母校に来て生徒を集めて講演されたことがありました。
うちの校歌は歌詞に学校名がなく、1番だけなら16小節の中途半端な感じで終わっちゃうけど、近藤さんが甲子園に出場された際、どんな感じであの校歌が流れたのだろうかと、なんとなく疑問を持ってました。ま、そんなことなど、とても挙手して訊けるはずもなかったんですが。

※巨人投手時代に交通事故によって利き手の指を負傷したが、その指を使わない投法で中日にて復活したそうです。ついでにいえば巨人軍12代目の四番打者という意外な側面も。

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2006.01.01

新年

本年もよろしくお願いいたします。

新年は実家で迎えた。子供の頃遊んだ公園へ、妻と子供と3人で散歩に出かける。昔は添え木をつけてやっと立ってた木が、夾竹桃を追い抜いてトンでもなく大きくなってる。子供が芝生の上で、得意のおすわり移動を始めた。
逢妻川の土手の方へ歩く。田んぼが広々とした景色は昔と変わらない。その上を新幹線が270km/hで通過。こちらは昔の210~220km/hと、目に見えて違うのがわかる。

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