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2005.08.28

寒くないですか

平日日中は会社のビルからほとんど出ない生活だが、8月5日に36.5度の気温の下、愛知万博会場を5時間歩き回ったことで、気温感覚が変わったようだ。子供の頃に戻ったみたいだ。夏はああやって、だらんだらんに汗かくのが本当だよね。

あれ以降、極端にきつい冷房が寒くてしかたないのだ。2週間くらい腹の調子が悪くて困った。朝の通勤時の小田急車内はちょっと冷房効かせすぎではないか。というか、なぜ駅のホームはあんなに熱がこもるのだろう。会社でも背中の辺りが寒くて何故かと調べたら、後方の普段誰も使わない空き部屋の冷房が24℃だった。思わず「アホかぁ!」と口走って27℃に変更した。会社はノーネクタイも可、としていたが、週2回くらいは寒い車内室内に備えてネクタイ(タイハング)をしていった。

同様に何か所か温度設定を上げたので、私の勤務先の消費電力がほんのちょっとだけ減少した。さすがは環境問題を前面に立てた万博です。あの自然な暑さを来場者に知らしめるのも「叡知」といえるかも。ただ、パビリオンの中には、すごい冷房をかけてるところもけっこうありましたね。

2005.08.20

続報四国最後の交点

後で紹介するFabrice Blocteur氏の交点到達報告を読むまで私も全く知らなかったが、日本の基準(測地系)による緯度経度表示と、世界基準(測地系)によるそれとは、8秒(8/3600度)~15秒くらいの誤差があるそうな。距離にして東京近辺では450mとのこと。
国土地理院「世界測地系移行の概要」ページ
http://www.gsi.go.jp/LAW/G2000/g2000.htm

測量法において「測量の基準」が、日本測地系から世界測地系に改正されたのは2002年4月1日。現在交点プロジェクトで対象となっているのももちろん世界測地系の緯度経度である。だから、実家の近くで私も一度探してみた交点も、何気ない家庭に3年前、突如北緯35度東経137度交点が降って湧いたところ、ということになる。

さて、徳島県の北緯34度東経134度地点で、2つの測量系の違いによる悲劇が起こったらしい。

1.昨年8月、Nathan Hirsch, Francis Hirsch両氏による北緯34度,東経134度地点への到達報告。「ゆめりあ34」と書いてある標柱を紹介している。当blogもこの報告を紹介し「どうして今まで誰も交点ハンターが来なかったんだろう」と書いた。
http://www.confluence.org/confluence.php?visitid=9015

2. 今年6月、Fabrice Blocteur氏による、世界測地系基準の北緯34度,東経134度地点への到達報告。Hirsch氏らの到達地点へ疑問を持った経緯なども詳細に記されている。
http://www.confluence.org/confluence.php?visitid=10767

何らかの理由でHirsch氏らの持っていたGPSは日本測地系の緯度経度を表示したらしい。このため彼らの交点到達はincomplete、というジャッジが下されてしまった。英文中の"'wrong' confluence"を、和訳では"「別の」交流点"としているが、確かに「誤った」と言ってしまうには気の毒な話だ。

chikeizu 久々に国土地理院の地図を買って、見てみた。
写真は「溝口」2万5千分の1地形図の左上角部分。日本測地系(北緯35度40分、東経139度30分)と世界測地系(北緯35度40分11秒6、東経139度29分48秒4)が併記されている。右に書いてある30'、下にある40'の線は世界測地系。

2005.08.11

万博行った

東海地方の人の何がうらやましいって、愛知万博情報がこれでもかと入ることですよ。実家でみんなが「毎朝、全部の民放TV局が万博情報やっとるよ」と言うんです。本当だ。行かなくたって見れるんじゃないですか。実は関東にいると、あそこで何をやってるか、皆目見当がつかないのです。大げさに言えば、クソ暑いなか何やら人が並んでるらしい、くらいの認識。私も行ってみて、事前の準備不足を痛感しました。「ぴあMAPハンディ」一冊ですべてわかろうとするにはあまりに深い世界ですよ。まさに徒手空拳で(いや、道中コインロッカーがなくて、実家へのみやげ袋とデイパックで両手がふさがって入場チェックでひいこら言いながら)会場に足を踏み入れました。8月5日13時20分過ぎ。EXPOシャトルとリニモは空いてました。

とにかく腹がへってたので、入場早々近くの店に駆け込んで味噌カツドッグとタコヤキで腹ごしらえ。もうこの時点で不勉強を露呈、会場内のうまいものを探す権利をみすみす放棄したようなもの。でもグローバルコモン1を徘徊したら、イラン館では角砂糖付きの紅茶をいただき、モンゴル館ではまろやかな岩塩をなめて楽しむことができた。

banpaku_03写真はインド館 。涼しくてゆったりできて、思わずしばらくすわりこんでしまった。

次はとりあえずふらふらと「愛・地球広場」へ。広場にいる人が前面の大画面に映し出され、動きに合わせて画像に模様がついたり、ぐるんとゆがんだりしている。長久手愛知県館で知多市の神楽を見る。並ばなくても見れるものを次々見ていくうちに、フランス館とドイツ館の前に来る。

banpaku_04 さすがにこの辺りは行列は避けては通れないようだ。しかしドイツ・フランス・スペイン館を後回しにして(←結局見損ねた)、他のものを見る。チュニジア館はよかった。ラクダの皮と陶器でできた、でんでん太鼓を購入。20分くらい並んだがクロアチア館は最高だった。ここだけは本当に並んだかいがあった。まあ見てみてください。

西に進路を変えて、アフリカ共同館にいく。独特のゆるい雰囲気がよい。セネガルのブースで、ユッスー・ンドゥールのライブビデオを放映していた。

banpaku_06 コモン6を経て、日本ゾーンに行く。東京都のヘブン・アーティストが大道芸を披露していた。すでにこの時点で、入場してから4時間経過している。くたくた。万博に通いつめてる人はかなりの健脚に違いない。長久手日本館や大地の塔はあきらめる。企業パビリオンも今日はいい。どこか最後に楽に行けるところはないかと探したら、ひとつあった。

banpaku_07 瀬戸。

無料のモリゾーゴンドラ、待ち時間なしで乗れた。さっき乗ったリニモと自動車道を越えると、ヒグラシが聴こえてきた。このあたりでヒグラシは珍しいのではないか。瀬戸会場でなんとなく過ごして、18時ちょっと過ぎのEXPOシャトルで帰途につく。ちょっと予定より早めだったがこれが幸い、新守山辺りですごい雨が降り、金山駅についたら「中央線が集中豪雨で運転見合わせ」と掲示されていた。

まだ半分しか見てないよう。また行きまする。

2005.08.08

オアシスと岩ヶ池

旅行記第2回は、私の出身地「刈谷」です。

中学・高校時代、よく自転車を乗り回した。中でも自分で見つけた刈谷市縦断コースはお気に入りだった。市の最北端・小堤西池(かきつばた群落)から-洲原公園-岩ケ池-一里山町(←2006.01.16、「一ツ木町」を訂正)伐払まで南下、一ツ木大橋まで西進。あとは逢妻川-境川の堤防をずっと通って衣崎町まで、という約20kmのコースである。岩ヶ池近辺へ南から北上すると、広大な田畑が目の前に開け、岩ヶ池を囲む森が遠くに見えた。その風景が好きだった。

最近このあたりに伊勢湾岸自動車道が開通し、刈谷ハイウェイオアシスという施設もできたという話を聞いて気になったのが、その風景がどうなったか。ということだった。今回そのコースを約20年ぶりにたどって、昔の記憶とリンクさせてみた。一ツ木大橋から北に向かい、岩ヶ池を通り、刈谷ハイウェイオアシスに行ってみる。ちなみに徒歩。

kariya_01 1.スタート地点・一ツ木大橋。

kariya_02 2.県道を渡って東に行くと、こんな感じで平地に小さい森があったりする。この辺はまったく昔と変わっていない。

kariya_03 3.東境町の住宅地の中にある竜ヶ根池。水辺が整備され、きれいになっていた。

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kariya_04さて、視界が開けて…

4.見えたのは高速道路だった。昔は、平気で人が入れる森だったのだが。

kariya_05 5.こう見ると、高速道路というのは、かなり高い壁である。

昔は、森の横に岩ヶ池の南から入れる道があった。それが見つけられず、西へ西へと流される。あるところで高速をくぐり、横の階段を上り、ようやく岩ヶ池にたどり着いた。

kariya_06 6.岩ヶ池。ハイウェイオアシスの観覧車と、画面左手の橋を除けば、私の知ってる池の風景だった。高速を通過する車の音が聞こえるが、耳障りなほどの音量ではない。意外だ。2人の若者が釣りをしていた。

kariya_07 7.昔自転車で走った、池の南からの道は行き止まりだった。高速の壁がでーんとそびえているわけでもなく、自然な感じで道が終わっていた。

kariya_08 8.新しくできた橋の方へ行ってみる。「オアシス橋」というらしい。ここからでも岩ヶ池が見えるが、池に背を向けた側にしか、歩道がない。

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kariya_09kariya_109. 10.刈谷ハイウェイオアシス。パーキングエリアに設けられた商業施設・娯楽施設です。一般道からも行けるのが画期的。おみやげに「かりやかきつばたの詩」という菓子を買う。今まで知らなかった菓子である。岐阜県清見村の「飛騨牛ビーフカレー」のレトルトも買った。これ、うまかった。トイレがきれいらしいが、うっかりしてて行くのを忘れた。

kariya_11 11.で、観覧車に乗って岩ヶ池を見てみる。池の南の森は、半分以上駐車場になってます。でも、逆に言えば、写真6で見たように、岩ヶ池の「景観」としては、不思議なほど注意深く残ってる感じもする。

kariya_00 3以降の写真の撮影位置は、左の図の通りです。

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2005.08.07

知らざる名古屋

旅行記書きます。テーマは「名古屋(主にどんぐり探訪記)」「刈谷(主にオアシス探訪記)」「万博」の3つです。今回は「名古屋」。

「知られざる名古屋」でなくて「知らざる名古屋」です。愛知県に生まれながら、私はほとんど名古屋の街を知りません。中日ファンでありながら、ナゴヤドームの実物を外からさえ見たことないのです。最近ひょんなきっかけで「どんぐりひろば」プロジェクトの存在を知り、HPを見てみたらとても面白かったので、私も、2年ぶりのんびり帰省したのを機会に、ちょっとその「どんぐりひろば」を見つけようと歩いてみました。そしたら、今まで知ってるところもえらく変化しててびっくりもしました。

nagoya_01nagoya_02  8月5日名古屋着。桜通線のホームにて。地下鉄の駅番号表示が興味深い。自分自身の駅番号(ここではS02)と乗換え先の路線に対応した駅番号(H08)が、並立して書かれてます。親切。写真右は下車した市役所駅で撮ったもの。よく見えませんが「名城線左回り」と書いてあります。英語表記はCOUNTERCLOCKWISE。だったっけ。

nagoya_03 地上に上がると、草むした名古屋城のお堀の跡が見えました。以前ここを電車が走っていたとは!

donguri_071 「どんぐりひろばプロジェクト・リサーチ編」の展示が行われている名古屋市市政資料館へ向かう途中、早くもどんぐりひろばNO.71に遭遇しました。記念すべきどんぐりデビューです。

donguri_000 市政資料館の展示を見ました。全部のどんぐり広場の調査を1枚1枚紙として張り出してあります。大変な労作と思われます。床一面にあるのは、名古屋市の地図にどんぐり広場をプロットしたものです。この図をみた瞬間ですね。「ああオレは名古屋を知らんなあ」と実感したのは。

市政資料館を出た後、私もちょっと探してみました。名鉄瀬戸線清水駅に歩いて行くまでの間と、翌々日、帰り際の金山駅周辺です。

donguri_059donguri_097donguri_265 左からNo.59(サラリーマンが携帯で商談しながら横切っていった)、No.97(最近閉鎖されたとの情報。たちまち草に覆われていた)、No.265(常連とおぼしきおじさんが入ってきたので、少し離れて撮ってみた…って、離れすぎや!)

nagoya_04 金山といえば、知らぬ間に駅の北側が大きな変貌を遂げててびっくり。「アスナル金山」という商業施設だそうです。ここにも黄色い柵があったので撮ってみました。

まあ、こんなところです。どんぐりひろばプロジェクト、9月の展示も見に行きたいと思います。

2005.08.04

PC壊れた

メインマシン壊れた。3日前に突然、起動10分でいきなりWindows98再起動。その時間がだんだん短くなって、ついに起動中に再起動を繰り返すようになる。いっぺん開けて中を掃除してみたが直らず。もうちょっと調べてみるが、無理かもしれない。

Endeavor VZ-4000。PentiumII350MHz、メモリ96MB、HDD4GB。稼動期間6年10ヶ月。

この春に、ひょんなことからFMVのノートを買ってて、必要なデータをCD-Rにバックアップしてあったのが、不幸中の幸い。

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