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2004.11.10

三宮麻由子著「鳥が教えてくれた空」(集英社文庫版)

「文-体 読本」の「彼女にとっての鳥の声(高橋千剱破氏(文芸評論家)「自然を意識することで見えてくるもの」からの引用)」という記事を読んで購入。
とても面白かった。
1999年に神戸ジーベックホールで開催された「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」に参加して暗闇を歩いた時、痛感したことがある。私の聴覚は距離感・立体感をイメージさせてくれなかった。方向はわかる。でも前を歩く人との距離が全く把握できず、何度も背中にぶつかってしまった。
著者の三宮麻由子氏は4歳で視力を失ったが、鳥の声を聞いて空の存在を意識し、滝の音を聞いて「景色を聴く」ことを知った。それまで「点(ポワン)」として捉えていた世界を「空間」として捉えるようになったプロセスを様々な角度から描き、自然の中の自らについての深い考察をすすめている。スズメの声から時刻・天気・外の明るさ・街並の様子・またスズメ自身の心理を聞き取ることができるようになったというところにまず惹き込まれた。「鳥の声の余韻がどれくらい高く響くかで、その場所の開け方を感じることができる」とか、読者が新たな感覚を開かされるような文も随所に散りばめられている。

そこまで空の状態をつかんでいる人は、そうはいないだろう。しかし「目の見えない人が聴覚・触覚・嗅覚・味覚によって周囲の世界を把握する能力は、並々ならぬ努力と試行錯誤の繰り返しを経て得られるものである」というのが、この本が一番はっきり伝える事実である。
こんなことも考えた。
病室でジャックと豆の木の絵本を読んでもらった時、彼女が浮かべたイメージは「太い幹をはしごを登るようにヒョイヒョイ登って行くと、いきなり玄関の上がりがまちにたどり着き、そこを上がるとこれまたいきなり大男がいるという具合。」このイメージは、小さい頃の私が抱いたものと同じであった。
「私にとっての空間は、いま自分がいる点でしかなく、世界のすべてがいまで言うシミュレーションみたいな、ふわふわした日々だった」とも彼女は書いているが、私の生後2ヶ月の子供が手足をごそごそ動かし、たまたまそこにあるガラガラに手が当たって音が鳴るのに反応するけど自分ではまだそれを取りに行けないのを見ると、始めはみんなそんな感じではなかったかと想像される。前にも書いたように彼女が周囲の空間を把握するためには多大な努力を必要としたが、手段と難易度の差こそあれ、誰もが周囲の世界を自分なりの方法でつかんで行くのだろう。私の場合はどうだったか、本書を通じて思い出してみるきっかけにしようと思っている。
もしかしたらその延長上に、彼女が得たようなもっと深い音の世界があるのかもしれない、自分にもできるかもと、ほのかな期待をいだいてしまうのだ。

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