齋藤 孝著「ストレス知らずの対話術」(PHP新書)
読みました。
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仕事上の付き合いなどを「半フォーマルな場」と位置付け、そこでストレスなくコミニュケーションを行う技術を伝授。日本人は仲良し同士での「プライベートな場」でのコミュニケーション欲は旺盛なのに、そうでない場で対人関係にストレスを感じる、話しかけてもレスポンスを返さない、等のコミュニケーション不全を起こすのは何故か、どうしたらよいか、というのが、初めの問題提起である。
半フォーマルの場、という定義からすぐに思い出したのが、中高生の頃の自分である。齋藤氏の問題提起とは逆に、毎年私は、4月にクラス替えがあった直後の「半フォーマルなクラス」では元気なのに、その中で「プライベート」な仲間内の関係が徐々に出来てくると、そのどれにもついて行けなくて浮いてしまうのだった。そういう現象を「五月病」と呼ぶのだろう、と認識していた。
同じような例でもう一つ思い当たったのが「オフ」であった。ネット上の某フォーラムの会議室では言いたいことを言ってた自分が、相手に実際に会ってみるとがちがちになってしまい、ほとんど話せなくなってしまうのだ。何だか、そこに、目に見えないプライベート空間がいくつも立ち現われたような気がした。
「プライベートなコミュニケーションの方が苦手」という、著者の指摘と逆の経験を持つ自分であるが、それがどうして起こったか、本書を読んでいくと納得出来る部分が多い。
自分の言いたいことをクリアに言うことは、非常にドライに、論旨の骨の部分だけをずけずけ口にすることとは、まったく別のことだ。むしろ感情的な部分・自分の経験・個人的な世界と、相手のそれをどう上手に交流させるかということだ。感情や個人的な部分を抜きにしてドライに発言するだけではやはり角が立つ。(34ページ)
メールや活字といった文字だけで、その人のすべてを理解したような気持ちになるのは問題だ。顔を見て、声を聞いて、微妙なニュアンスを身体で感じる。身体の発している情報を身体で感じ取る。本来、人は多くの情報を受け取りながらやり取りする方がストレスは少ないと私は思っている。(53ページ)
コミュニケーションというのは実質が大切なのであって、形式や場所なんかどこでも同じだという考えに私は与(くみ)しない。人間というのは身体ごと存在しているわけで、その身体は常に場の影響を受けている。(137ページ)
身体の発している情報とか、場の雰囲気とか、今まで僕は敢えてそれを意識しないように振舞い、ドライな言い方を旨としてきたことは間違いない。共通の話題がなくたって、そんなものだろうと思う。でもそれは、身体を持った人間としては不自然な有りかただと、齋藤氏は言うのだ。身体でわかっている部分(身体知)やそれぞれが経験してきた主観的な世界(暗黙知)を言葉として客観的な世界に引き上げて混ぜ合わせれば、半フォーマルな場でのストレスは軽減し、より多くのアイデアを生み出すことができる、と。
そのような対話を実現する手段として、本書では「マッピング・コミュニケーション」を紹介している。その利用例と効果がかなり詳細かつ具体的に記述されているにも関わらず、これが全編にわたって「手段」「小道具」の役割を外れることはない。あくまで主体は「第Ⅲ章 快感を感じるコミュニケーション」と「第Ⅳ章 コミュニケーションを鍛える<三つの力>」である。この辺のバランス感覚も好感が持てる。


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